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先日祖母が亡くなりました。
遺影のイメージ
(葬儀で使われたものは全く異なりますが、葬儀写真をブログへ上げるのに抵抗があったので、いらすとやより参照)
そこで私も至急実家へ帰り、長男であり喪主である父を手伝っていました。
当時特別養護老人ホームにいた祖母は認知症が進んでおり、最近は食欲も薄くなっていました。
私も毎月実家に帰り...亡くなる週の数日前も、私は祖母の様子を見てきていまして。
祖母は呼びかけても意識がなく、かなり弱っていました。
ですので、亡くなったと聞いても、あまり驚きはありませんでした。
私は亡くなった場には立ち会わなかったのですが、聞いた話では苦しまずに亡くなったそうです。
これまで認知症により感情がほぼ壊されていたので、やっと楽になったのか?
でも、同じように祖母がそろそろ山だという話を、今年の夏と去年の冬もしていながら、それから持ち直したことをこれまで何回か繰り返していました。
今回もまた何とかなる姿も期待はしていたので、微妙です。
さて、私の実家で行った仏教・浄土真宗における葬儀の流れは以下の通り。
・医者に祖母が亡くなった部屋に来ていただいて、死亡診断書を入手する
↓
・特別養護老人ホームから実家へ祖母を移動
↓
・枕つとめ
私が実家に到着し、手伝いし始めたのはここから。
実家の仏壇前に一晩寝かせる。
夜間も蝋燭や線香を絶やさないようにする。
出棺・念仏前に祖母を色々整える。
(別途役所へ死亡届と死亡診断書を提出し、火葬許可証を入手する)
↓
・出棺
祖母を実家から葬儀会場へ移動。
この時祖母を霊きゅう車へ移動させたのですが、その時冷たい布団を触ることになり、ゾクッとしました。
↓
・通夜
葬儀会場で一晩寝かせる。
夜間も蝋燭や線香を絶やさないようにする。
↓
・告別式
葬儀会場にて葬式のメインを行う。
↓
・火葬・納骨
祖母を火葬場へ移動し、火葬。
1時間半ぐらいで肉がなくなり、骨がボロボロの状態になる。
その骨のかけらから、のどぼとけなどいくつかを骨壺に入れる。
↓
・初七日法要
もう一度葬儀会場に戻って、最初の法要をする。
↓
・墓へ骨を収める
祖母の骨の何割かを、先祖代々が眠る墓に納める。
(残りの骨は、後日地元宗派の総本山へ納める)
↓
・地元の寺に行き、念仏を上げる
...という流れを、5日ぐらいかけて行いました。
ところで我が家では、昭和20年代に父方の祖父・曾祖父に亡くなったのが最後。
ですので、経験がほぼない。
そんな中、時間が過ぎていく中、(多少事前に用意していたとはいえ)父が葬儀会社方と短時間でどういう式にするか次々に決めていったり、親族の相手をこなしていたのは、単純に凄いと感じる。
さて出棺前に、葬儀会社のエンジェルケア(死化粧)担当の人がやってきたのですが、これまた凄かった。
祖母は以前から食が細かったのですが、輪をかけて食欲が殆どありませんでした。
その為、祖母の体はやつれており、当然血色も悪かったです。
94歳だったので、当然シミとかもあります。
また口は死後硬直の影響か、(私は立ち会っていないのですが)亡くなった直後は閉じていたらしいのに、実家へ運ばれたころには大きく口を開けていました。
そんな中湯灌(ゆかん)等を行うにあたり、家族一同立ち会うことになり、加工の様子を見ていました。
しかしながら顔周りの化粧は、綿を色々詰めるグロいシーンがあるからか、遺族からは覆いで見えないようにしていたので、どうやったのかはわかりません。
ですが手入れをされた後は、口は閉じ、シミも消え、血色も良くっぽく見えるようになっていたのでびっくりしました。
業者によっては接着剤を使ったりするそうですが、今回の業者は特に使っていないらしい。
時間がたつとまた口が空いてくる可能性はありますよ。
とのことだったんですが、今回の場合は結局最後までそうはなりませんでした。
いったいどうやったのか?
知りたいような、知りたくないような。
あとカルチャーショックを受けたのは、納骨。
火葬場を通すと、骨が原型をとどめずバラバラになるのは知識として知っていました。
しかし、幼少のころから保育園の送り迎えなどで育ててもらっていた祖母がこういう姿になるのは、精神的にきます...。
そこに骨壺が用意され、出席者が二人一組で少しずつ箸?のようなものでスタッフの方より指示された骨を入れていったのですが。
ちょっと待て、二人一組というのがそもそもやりづらくてスローペースだし、いつになっても終わらんぞ?
などと思っていたら、一割も満たない量を骨壺に入れた時点で終了。
残りは火葬場の方が処理します(証言の詳細は失念)と説明を受けました。
今まで自分がお墓に対してご先祖を参っていた骨は、こうやって納められたものだったのか?
ただ、これだけの欠片に対してお盆など拝んでいたものだったのかと思うと。
まあ、そういうものではあるのでしょう。
しかし、何というか、根拠性というか、手を合わせたいな度がガクッと下がったような。
し続けますけど。
そんなこんなで、何とか葬儀を終え、また仕事に戻るため大阪へ帰りました。
ですが、後からさみしさが来るというか、凹みます。
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投稿者 kuze : 2017年12月17日 23:50
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