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バットマンは詳しくないのですが、ジョーカーといえば同作品に出てくるピエロに扮して悪い意味で面白さを追求する舐め腐った言動にて社会を大混乱に陥れる悪役。
以前「ニンジャバットマン」を見たところ、他にもたくさん悪役は出てきたのですけど、とにかく灰汁が強くて強烈な印象だったのが「ジョーカー」でした。
で、現在上映中でR-15ながらヒットしている「JOKER」。
バットマン誕生前のジョーカー出生という話です。
事前情報で、今回上映中の「JOKER」は、悪のカリスマというよりは可哀そうなオッサンの話らしいというのは聞いてました。
そこでそんな情報とジョーカーのインパクトなどから気になって、先日Dolby Cinemaな映画館で見てきました。
以下感想を書いていきますが、ネタバレありなのでご注意ください。
「気持ち悪い。」
人には勧められない。
正直同時期に公開されている「空の青さを知るひとよ」をみて「あか姉大好き!」と言っているほうが精神安静上大変良いです。
あか姉はよかった(詳細についてはまた機会があれば)
本日10月1日は #メガネの日#空青 でメガネと言えば、「あか姉」こと #相生あかね ですね!
— 映画『空の青さを知る人よ』 (@soraaoproject) 2019年10月1日
しっかり者で何でもできる優しいお姉ちゃんですが、しかし・・・。
彼女のふと見せる表情に注目してみてください。#空の青さを知る人よ #吉岡里帆 pic.twitter.com/tUzlEaXL98
でもJOKERは映画としての出来はいい。
そもそも語り手が信用できないので(なにせジョーカーだし)どこからどこまで事実なのか、じつはほぼ全部嘘か妄想なのかぐちゃぐちゃでわからない。
いままで語っている場所が最後のシーンであれば?、そこはゴッサムシティの指定入院医療機関な精神病院と思われるところだしね。
映画上では、転落の一番最初が病室でうっかり職場の同僚から無理やり預かった銃を落としたことになっているけど、そもそも小児科病棟で点滴しているしている子もいる中で、ピエロが楽しそうにダンスを踊っている時点で衛生治療上ダメだろ。
JOKERをみて主人公のアーサーについて心へ引っかかる人がいるのもわかる。
主人公アーサーことホアキン・フェニックスの演技が確かに見事で、自分も引っかかるところはあった。
体質や性格の問題で社会に溶け込めない時期があった人(現在進行中の人も含む)には良くも悪くも来るものがあると思う。
第三者視点でみていて主人公アーサーがそっちいっちゃだめ!という方向へことごとく行っちゃって。
案の定辛い目にあっていて救いのないストーリー展開がほんと辛い。
辛い時期に限って社会は辛いのもあるある。
だから彼がジョーカーになるまでは、うまくは行かないけれど必死にあがいている姿は否定できなかったんですけど。
でも一線を超えてから(自分の基準では認知症への母親に対する最後の行動とそれ以降)は駄目。
受け付けられない。
JOKER化粧済みな状態で踊りながら階段を降りるシーンは良かったけど。
でも(この人ほんと直接の関係ないじゃん)TVショーの司会者を生放送中銃で射○し。
その上で同じ苦しい境遇に置かれている人々から英雄扱いされて勝利のダンスを踊るシーンとかは、そう至る話とあらかじめ分かってはいたけれど。
薬を飲んで合わない夢を目指して社会のルールに沿いながら無理に合わせようとするのはやめて。
ありのままの姿をみせて、ありのままの自分さらけだして。
(彼だけの視点で見れば)ハッピーエンド!
え?暴動が発生して要人が連鎖殺害されるはゴッサムシティが大混乱じゃないかって?
そんなの今回の件で閾値は越えたけど、あの町は前からそんなものだった(狂っていた)でしょう?
と、あの痛々しさのなか思えるほど自分は寛容じゃなかったわ。
あの暴動シーンを見ていると、最近の香港過激派デモを思い浮かべる。
映画JOKER見てきた。良く出来ている意味で気持ち悪い。自分には拒否したい暴力が強くなっていってつらかった。ラスト香港の過激派デモとか日本で昔やっていた大学紛争とか自分は受け付けられないなと頭によぎった。他にどうすれば良いのか当事者じゃないと分からないですけど。やっぱりあれはダメだ。
— 久世浩史 (@hiroshikuze) 2019年10月17日
初期の頃ニュースで見た手をつないで人間の鎖といっていたころや、宗教団体を偽装してひたすら街中を練り歩いていたころとかはともかく。
街を混乱させるためにバリケードを作ったり警官をしばいたりゴミを撒き散らしている姿について。
大きな政府(ビッグ・ブラザー)に弱いものが立ち向かうにはもう正攻法じゃ無理という思考になる気持ちはわかるけど。
でも自分は受け付けられないわ。
他にどうすれば良いのか当事者じゃないと分からないので、部外者が言うのはどうかというところはありますけど。
でもあれはダメだ。
ところで、主人公が芸人志望だけはあって漫才をやるのですが、ゴッサムの人たち(≒アメリカ人)の「笑いの壺」がさっぱりわからんかった。
(最後のテレビ前語りを除いて)ネタ帳を見ないとろくに話せない主人公って、そもそもあんなのでステージに立たせるなよ!
しかも語っている内容が、主人公以外もさっぱり面白くない。
主人公に至っては途中から演出でごまかしたので、非公開の部分が実は面白かったという流れなのかもしれんけど。
納得いかんなあ。
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投稿者 kuze : 2019年10月18日 23:53
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